2022年9月14日 6:41:35
Imazu
第四回 日本刀の見所 沸と匂の正体とは?
【違いを再確認!】
「地鉄:じがね」とは、なんとなく、鍛えた鉄の質のことであろうとは想像できると思います。しかし、解説中に頻繁に出てくる「沸:にえ」と「匂:におい」の意味や両者の相異が良く判らないというご質問を多く頂きます。虎徹や正行で紹介した写真を再度掲載して詳しく説明しましょう。
下の写真は虎徹の切先部分を拡大した写真です。赤いラインが「鎬筋:しのぎすじ」と呼ばれる部分です。本コラムでは解説中登場する刀剣用語をその都度説明しながら話を進めて参ります。少しづつですが、刀剣用語に慣れていただけるように、写真やイラストを見て理解を深めてください。
【刃文とは違う! 「刃取り」】
「鎬筋:しのぎすじ」の上部、刀のなだらかな山形状の境界線に注目してください。この境界線を「刃縁:はぶち」または「刃境:はざかい」と呼びます。この部分には「刃取り:はどり」と呼ばれる「研師:とぎし」による研磨技術が施されています。
「刃取り」は「刃文:はもん」ではありません。「刃取り」は研師が刃文をより美しく見せるために施した【刃文のお化粧】のようなものと考えてください。「沸・匂という刀の働き」とは根本的に異なる部分ですので、間違えないようにしましょう。
この白っぽい「刃取り」の中にさらに白い部分があります。これが「沸」と「匂」の複合した本来の「刃文:はもん」であり、さらに細かく表れる変化が「刃文の働き」です。これ等、全てを併せて「焼刃:やきば」または「刃文:はもん」と呼んでいます。
「刃文:はもん」と「焼刃:やきば」はほぼ同じ意味と考えていただいて結構ですが、日本刀の鍛造過程では「刃文」よりも「焼刃」(例:焼刃土:やきばつち 等)を多用し、研磨後の日本刀では逆に「焼刃」よりも「刃文」と呼ぶ頻度が高いように感じます。
「焼刃」はおそらく刃を焼き入れる刀鍛冶の間で頻繁に用いられた用語なのでしょう。このため、「焼刃」という文言が多く登場するのは研磨が施される前の鍛造段階の日本刀の説明で頻出する文言のように思われます。
【沸と匂は同時に現れる!】
刃文を良く観察すると、白い部分は粒状の連続であることが判ります。これが沸による刃文で、筋状に沸が連なっているのが「沸筋:にえすじ」です。
そして、これらの沸の周囲に、あるいは沸に伴って白く淡い霧や霞のように広がる形状のはっきりしない部分も観察できます。刃文の境界から刃先に向かって次第に淡くなっているのが判ります。これが「匂」です。
「匂」は不定形に刃文の各所に現れる場合や帯のように一定の幅で刃縁に表出するケース、また、相州伝の名工「郷義弘:ごうのよしひろ」の作風のように刃境から刃先に向かて消し込むように現れるものなどがあります。
沸と匂はそれぞれ単独で現れるケースも稀ながらありますが、多くの場合、沸と匂は同一作品中に同時に現れます。
沸の働きが強く表出したものを「沸出来:にえでき」、匂の働きが強いものを「匂出来:においでき」と呼びます。注意すべきは、沸出来の日本刀作品にも匂の働きがあり、匂出来の刀剣作品にも沸の働きが表れるという点です。
まず最初は、沸の中にある匂、匂の中にある沸を看取できるように日本刀の鑑賞を試みることを目標になさると良いでしょう。
実際に日本刀を手に取って鑑賞なさりたい方は、遠慮なく日本刀専門店 銀座長州屋までご来店ください。費用はもちろん予約など一切不要ですので、お気軽にお立ち寄りください!
【日本刀鑑賞の実践】
下の写真は正行(清麿前銘)の乱刃の写真です。刃文の境界部分から刃先に向かって匂が広がり、「鍛え肌:きたえはだ」に感応して流れるような働きを生み出しており、さらにここでは沸が白い粒状に連続したり、逆に匂を切るように黒っぽい粒の連続に見えたりします。
「鍛え肌:きたえはだ」とは、折り返し鍛錬によって形成された鉄の層が、地鉄表面に木肌状に現れた様子を表した用語です。
下の写真は「鍛え肌」のうちの一つ、「杢目肌:もくめはだ」の一例です。
【日本刀 地に入る沸】
右の写真は江戸時代前期の大坂の刀工一竿子忠綱の脇差の部分拡大です。
沸が主体の刃文であることは良く分かりますが、「地鉄:じがね」の中にも沸が見られます。地鉄の中のことを簡単に「地中:じちゅう」とも呼び、この地中に入る沸を「地沸:じにえ」と呼んでいます。「地沸」が特に強く凝っている部分が「湯走り:ゆばしり」です。
【刃文 根本は一緒】
日本刀の表面に現れる様々な刃文の変化は、基本的に刃文の焼き入れにともなう急激な温度変化で鉄の組成に変化が生じることで現れます。
鉄の急冷によって玉鋼はマルテンサイトと呼ばれる結晶構造を持つ鉄に変化します。
沸・匂はともに科学的にはマルテンサイトの結晶構造を持つという点では同じです。結晶の粒子の大きさによって沸と呼んだり、匂と呼んだりして区別しているのです。
このマルテンサイトが様々な場所に様々な形や濃淡を伴って現れることで、刃文には美しい景観が現れます。この変幻自在の美しさを様々に言い表したのが、沸であり匂であり、湯走りや地沸などという刀剣用語なのです。
一見難解に思われるかもしれませんが、表出する現象の根幹は一つです。つまり鉄の組成がマルテンサイトへと変化し、その結晶構造が日本刀の刃文を構成しているということです。意外に単純明快ですよね。
日本刀専門店 銀座長州屋